昨日書いた投稿がこちら
お姑さんが父に
「身体の弱い嫁はいらない。持ち帰ってくれ。」
その様に言ったのは、おそらく
17年くらい前の事で、
父から聞いたのは、
10年くらい前のことだったと思う。
その頃、突発的にお姑さんに叱られることがあった。
それは、大きな声で、怒鳴られる様な出来事で、
壁の向こう側で、わたしの悪口を言っているのが聞こえました。
わたしは、時々眠れなくなるくらい
悩むことがあって、
この場から逃げたい衝動に駆られました。
その為、子育てサークルに入って、
用事を作っては、出かけたりしていました。
そうして、時が過ぎ、
投資で失敗して、
ネットワークビジネスも上手く行かなくて、
今の家業を頑張るしかないと、
肝を据えたのは、2020年に入った頃でした。
宇宙人生理論も学んでいるのに、
自己犠牲をやめられないのは、なぜか?
その理由がわからないままでいました。
それが、今回、お姑さんが小さな声で、
「邦子さんは、何やっているんだ」
と言ったことから、
わたしは、親戚が来ているにも関わらず、
働き続けました。
親戚が来た時、
「くにちゃんも一緒にどう?」
と以前言われた事もあったけれど、
ある一件以来、
わたし自身は、家族の奴隷の位置として、
働いて来たように感じる。
それは、家族を食卓に呼んだ時の事。
今日も、お姑さんに言われました。
「準備が出来ていないなら、呼ばないでおくれ」
今では、
「ちょっと待ってね!」
と言いつつ、さっさと並べます。
娘が、
「おばあちゃん来るのが遅いから、早めに呼んだんだよ」
と言ってくれました。
少し前
3年前までは、
お姑さんが、
「準備出来てから呼んで」
主人が
「なんだ、準備できてないじゃん」
娘が
「えーまだなのぉ〜」
×3
だけでなく
お姑さんがさらに
やり方が悪いとか
手順が良くないとか
言いました。
これが、わたしの日常でした。
お姑さんから言われる
一言ひとことに
神経をすり減らして過ごして来た20年。
それが、
お姑さんが、歳をとり、
身体が小さくなって、
言葉も弱々しく発するのに、
一言でも
わたしを否定する言葉を聞いたら、
無条件に、自己犠牲で働いてしまう。
それは、まるで、
フラッシュバックしているみたいな
感覚だったのだ!!
怖かったお姑さんでは今はない。
けれど、
否定的な言い方をされたら、
17年前のお姑さんの怖さが、
復活して、
脳内テープレコーダーで
繰り返されてしまう。
そんな状態だったのだ。
けれど、
20年も
こうやって生きて来たら、
気付かないうちに、
自分は、才能を身につけていたのだと、
今、気づき始めました。
それは、
食卓に食事を用意して、
片付けをすることや、
家の中を、掃除する事。
家業の事務をする事。
りんごとぶどうに関する仕事全般。
大切な事は、
気付く事だと思う。
自己犠牲をしていないか?
いつ?
なぜ?
そう思うの?
と………
特に大変だったのは、
コロナ禍が始まった1年間だった。
わたしを、全否定される方々ばかりだった。
そんな中、
自己犠牲であっても
自分に任された仕事を、一生懸命にやって来た。
今に居て
必要な事に集中する。
いつのまにか、それが出来るようになって来た。
わたし自身の代わりになる人は、いない。
そのくらい自分を信頼できるようになった。
他人に、
貴方は、頑張っている
と
励まされたら
一時は、嬉しいかもしれないけれど、
自分の中に否定の気持ちがあったら、
充実感はないと思う。
それが、自分を信頼できると、
誰に褒められなくても、
よし、大丈夫。
と充実感がある。
今、わたしは、それを得た。