わたしは、いじめられながら、だんだん主となっていじめている人が分かっていました。
そうなんです。
中学生だったわたしは、けっこう冷静でした。
クラスほぼ全員に無視された期間は、約1年半くらいだったかと思います。
中学2年生の林間学校の時の、写真の自分が嫌いで、せっかく購入した写真を、全て棄てた事がありました。
あの時に、無視される存在のわたしと言うものが、自分の中にでーーんと居座っていました。
何をしても、わたしは、無視されるような存在なのだ。
勉強を頑張っても、どうせわたしなんかダメなんだ。未来に希望が持てなくて、毎日どうやって死んだらいいかを考えていた中学時代。
高校にどこに行くか先生に聞かれた時、近くでいいと、全く考える事をしなかった。
自己肯定感が低く、誰かに認めて欲しい。
そんなことを、ずっと考える様になっていました。
自己肯定感が低かった事が、
人生において、良くない出来事を、
自分が引き寄せて来たのかもしれません。
それでいて、誰かに自分の悪口を言われたら、
ものすごく悩んで眠れなくなる。
そうだけど、本当の自分の姿を見たくなかった。
いつも、誰かの事を、心の中で責めているのに、
それを必死に隠していました。
そう、いじめに遭った時も、わたしがいけなかった事があった。
今になって、その課題を乗り越えようと必死になっています。
それは、どうして理不尽なことをしたのか?
相手に確認をしなかった。
自分の気持ちを、伝えなかった。
その3で書いた、教頭先生に伝えた言葉……
それは、わたしがずっと言いたかった言葉だったのかもしれない。
いじめていた方に、
「あの無視された期間、わたしは、ずっと死ぬことばかり考えていたのよ。貴方は、人の事を高笑いするばかりだった。その高笑いが大嫌いだった。」
わたしは、面と向かって言う勇気がなかった。
だから、強い人に憧れて、
そう言える人の近くにいたのかもしれない。
けど、それは、間違いだった。
結局頼った人もまた、高笑いする人だった。
けれど、いい事もある。
その後、
色々な人と対応する時に、
笑い方を良く見る様になった。
トラウマこそ洗脳だ。
解けないトラウマは、ない。
必要な事は、良く見る事。
自分で自分を励ます事。
今自分が生きているのは、
自分が生きる選択をしたからなんだ。
自分をほめる。
それが、1番の近道。
21:59になりました。
おやすみなさい。