その心地よさは、本当の心地よさではなく、
コンフォートゾーンで培った時に、
体験した心地よさだったのだろう。
りえ先生のおはなしの中の
コンフォートゾーンについて、
ずっと学んで来ました。
自分の幼い頃からの事が、枠や型になってしまっている。
具体的には、どうゆう事だったのか?
はっきりとわかった!
と言えていなかったと思う。
こうして書いてみると、
わたしのコンフォートゾーンには、
争いの記憶があったのかもしれません。
お友達に無視された時の悔しさや憎しみ、
わたしの中に、記憶は、消えても、
潜在意識にしっかり残っていて、
トラウマとも言えたと思います。
父やおばさんも、小さな時、いじめに遭った事があったと話していたと思いました。
父の兄弟姉妹は、仲違いをしていた様でした。
わたしが、小さな時に聞いた言葉で、
「こんちくしょう」
と言う言葉を使っていました。
何か切ない事があった時や
いじめらた時などに使っていた様に思います。
ふと、今使う人がいないと思って、
家族に「こんちくしょうって分かる?」
と聞いたら知らないと言いました。
わたしが、小さな時の環境は、
色々な辛い事が当たり前にあって、
それを乗り越える為に
こんちくしょう
と言って踏ん張っていたのかもしれません。
けれど、この言葉には、恨む要素も含まれていて、「こんちくしょうだなあ」と言った時には、誰かに恨みの念を飛ばしている状態だったかもしれません。
そんな環境に育ったわたしは、
その周波数をまとっていて、
いじめを引き寄せていたのだとも
言えると思います。
その様な、恨みの様な低くどんよりとした周波数が、わたしのコンフォートゾーンだったとわたしは、思います。
それを、わたしは、全身全霊で繰り返して来ました。
それを、知ろうとしなかった言葉が、
トラウマで、
トラウマのせいにしたわたしは、
思考停止でした。
幸い、辛い事が、これでもか!!
とあったおかげで、
トラウマを芋づる方式で、
ひっぱり出す事に成功しました。
トラウマこそ洗脳ですよ。
20:49になりました。
おやすみなさい。