おじさんは、何か困難を乗り越える前に、
こんちくしょうにゃろめ
と言っていたのかもしれません。
35年以上前の出来事なのに、
思い出してみると、
断片的に自分の中から出て来て、
今の自分の視点で見ると、
良いとか悪いで言えない事に
気付き始めます。
わたしは、おじさんのうちに遊びに行く事もありました。
わたしが、いとこと遊んでいる時、
おじさんは、テレビを見たり、
食事をしたり、昼寝をしたりして
寛いでいました。
その時、おじさんは、こんちくしょうと言っていなかった事を思い出しました。
わたしの自宅は、おじさんの実家であり、
仕事場でした。
さあ、頑張ってやってくるか、
そんな気持ちを切り替える時に、
言っていたのかもしれません。
そのくらい、大変だったのだと思います。
わたしの、父は、頑固なところがあって、
自分のやりたい様にやっていたのかもしれなくて、おじさんは、ストレスを感じていたのかもしれません。
その当時、ストレスと言う言葉もなかっただろうし、次男なんだからと言う事で、
色々な事を、がまんしていたのかも?
おじさんのご家族の気持ちを、考えてあげられなかった父だったかもしれません。
父が晩年、一人暮らしをしつつ、近くに住んでいた、弟さんと奥さんに色々助けてもらっていたのだけど、なかなか自分の気持ちを言えない様子がありました。
それは、長年父が、おじさんを苦しませて来てしまったことに関係があるかもしれません。
わたしは、父の手助けに全く出かけて行かなかった。近くに居てくれるおじさんとおばさんに、
頼ってばかりだった。
わたしは、実家に帰る事がほとんどなかった。
楽しい思い出がなかったところに、
行きたくなかった。
わたしは、ふるさとを棄ててしまっていたのかもしれない。
わたしの中にある、
冷たくて、冷酷な物。
それは、やっぱり、
いじめだったと思う。
わたしが受けたいじめもあったけれど、
母が受けたいじめを、わたしは、解決してあげれなかった。
わたしの人生の中のトラウマだと
今気付いた。
21:28になりました。
おやすみなさい。