「邦子がいけないじゃん」
おばさんに言われた言葉、
本当にそうだった。
一度謝ったけれど、
言葉だけじゃどうにもならない金額だった。
おばさんがお亡くなりになって、4年が過ぎた。
今年、シャインマスカットを届けた日は、おばさんが手術を受けた日だった事を、いとこのお姉さんが教えてくれた。
「まだ、もっと食べたいの」
とお姉さんが珍しく言ったので、最後にもう一度シャインマスカットを送った。
そのように、言った言葉が、おばさんの声のように聞こえた気がした。
父とおばさんは、生まれてから亡くなるまで、縁が深く、助けたり、助けられたりして来た事を、亡くなった後から、思い出して知ることになった。
父は、自分の気持ちをあまり言う人でないと、わたしは、思っていた。
父にとって、わたしは、嫁にあげた人。
頼らないと決めていたのかもしれない。
忙しいわたしを、思って、
迷惑をかけないようにと思ってくれていたのかもしれない。
お姉さんが生きていた時は、
色々頼った事もあったのかもしれない。
2人ともお亡くなりになってしまったから、
確認しようもないけど、
一生懸命に生きて来た事は、よくわかります。
わたしも、梯子から落ちて、何も出来ない状態になった時、もう元気にならないのではないか?と思う事もあった。
けど、自宅療養していたわたしは、すごく幸せでした。
家族の気配を感じる事ができる。
家族にご飯の用意をしてもらえて、
片付けをしてもらえる。
排泄を片付けしてもらえる。
当たり前の幸せを感じました。
人は、いつ亡くなるか分からないけど、
すでに亡くなってしまった人の後悔の中に、
家に帰りたかったと言うことがあるだろうと、
自宅療養する中で思いました。
おばさんがわたしに投げかけた言葉
「邦子がいけないじゃん」
それは確かにそうだったと思う。
けれど、100%ではないと思う。
おばさんも父もわたしも
お互いの因縁因果の中で、
学び合いの時象だったと思う。
これがなかったら、
おばさんの事を、全く知ろうとは、
思わなかっただろうと感じる。
お互いに辛い出来事だったけれど、
その事によって、自分の人生で起こった、
良くない事の因子となる事を、考える事が出来た。
わたしにとって、
トラウマだった事も、
今乗り換えなければならない出来事
となるのかもしれない。