先日、目覚まし時計が止まっていました。
昨日は、動いていたのになぁ。
電池を変えたら動き始めました。
この時象は、何を示していたのか?
その後、
娘を送って行ったついでに、
おばさんのところにお参りに行きました。
いとこのお姉さんに、
「貴方が死んだら、
すぐにおばさんのところに行って謝ってね」
そんな風に言われました。
確かに、投資に誘ってしまったわたしも悪かった。けれど1番は、投資先の人が……
と言いたい気持ちを、飲み込みました。
せきとめる……
その後会話をする中で、
おばさんは、おしゃべりだったねと、
おばさんが、教えてくれた事を、
いとこのお姉さんに話したら、
「台所でずっと喋っているから、無視して2階に上がってもずっと喋っていた」
とか
「笑いながら、かわいい姪っ子だから仕方ないと話していた」
と話してくれた。
きっとおばさんも、この事柄を、罪状昇華されていたのかもしれないと思いつつ、
いとこのお姉さんの切なさを感じながら、
慌ただしく帰って来たのでした。
同じ事を、何度も言わないといけない
いとこのお姉さんの辛さを感じ。
わたし自身も、同じ事を何度も聞く
辛さを味わっていました。
時計が止まっていたのは、
今に居ないからだった。
すごく重い感情。
畑で見た綿毛が、
風で飛ぶのを見た。
わたしは、今にいなかった。
いつも過去の色々な観念に囚われていた。
もっと軽くなってもいいのかもしれない。
過去から学び、
今を生きよう。
観念に囚われるのを止めます。
おしまい。