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観念に囚われるのを止めようその8

先日、目覚まし時計が止まっていました。

昨日は、動いていたのになぁ。
電池を変えたら動き始めました。

この時象は、何を示していたのか?

その後、
娘を送って行ったついでに、
おばさんのところにお参りに行きました。

いとこのお姉さんに、
「貴方が死んだら、
すぐにおばさんのところに行って謝ってね」

そんな風に言われました。

確かに、投資に誘ってしまったわたしも悪かった。けれど1番は、投資先の人が……
と言いたい気持ちを、飲み込みました。

せきとめる……

その後会話をする中で、
おばさんは、おしゃべりだったねと、
おばさんが、教えてくれた事を、
いとこのお姉さんに話したら、

「台所でずっと喋っているから、無視して2階に上がってもずっと喋っていた」

とか

「笑いながら、かわいい姪っ子だから仕方ないと話していた」
と話してくれた。

きっとおばさんも、この事柄を、罪状昇華されていたのかもしれないと思いつつ、
いとこのお姉さんの切なさを感じながら、
慌ただしく帰って来たのでした。

同じ事を、何度も言わないといけない
いとこのお姉さんの辛さを感じ。

わたし自身も、同じ事を何度も聞く
辛さを味わっていました。

時計が止まっていたのは、
今に居ないからだった。

すごく重い感情。

畑で見た綿毛が、
風で飛ぶのを見た。

わたしは、今にいなかった。
いつも過去の色々な観念に囚われていた。

もっと軽くなってもいいのかもしれない。

過去から学び、
今を生きよう。

観念に囚われるのを止めます。

おしまい。