2023年11月26日(日)5日目
看護師をしている知人から、電話が来た。
心配してくださる事が、嬉しかった。
けど、わたしの反応は、逆ギレするような感じだった。
看護師知人
「わたしの、働いているところに、どうにかして行って観てもらおう。先生にもお願いしてみるから行ってみようよ。」
わたし
「行かない」
頭の中で、その医院に行くイメージをした。
大きな病院に運ばれて行くと、とっさに感じ取り無理だと判断した。この時点で、担架以外に運べる状況ではない事をわたしは、感じ取っていた。
看護師の知人
「障害が残ったらどうするの?だって動けないんでしょ?骨折しているかも知れないよね?」
わたしは、今、サイマティクスの治療をしている事を説明した。
わたし
「サイマティクスは、信じるほど効果があると思っている。」
看護師知人
「でも、今動けないんでしょ!」
わたし
「そうやってお節介をやかれてしまうと、治療の効果が落ちると思うの。病院には、行きたくないの。ワクチンを進んで打った医師のところには、行きたくないの!!」
ここのところは、自分でもびっくりするくらい大きな声を出していた。
わたし
「レントゲン写真も撮ってもらいたくない。被爆したくないの。PCR検査もしてもらいたくないし、手術もしたくないの!!」
看護師知人
「………」
電話の向こうで、泣きそうな気配を感じる。
「わたしに出来る事は、ない?」
と言ってくれた。
もう他界されたお姑さんの残りのオムツがあるとの事で、翌日届けてくれた。
翌日も、同じく話されたけど、
はっきりとお断りをした。
サイマティクスCDが届くので、
それで治療することを、お伝えした。
わたしは、この方とのやり取りの時、強く言ってしまった自分に驚いた。
わたしは、サイマティクスで治すのだ。
それに、信じた方が早く治ると思った。
サイマティクスは、量子物理学の分類に入ると、
北村先生が言われた言葉を、わたしは、信じた。
その看護師の知人は、優しい人で、
本当に心配してくれたのだと言う事は、
良く分かっていた。
けれど、
障害者になったらどうするの
と言う言葉は、
わたしは、障害者になるかもしれない。
と言う、思考の枠を、自分に嵌め込んでしまったのだった。
それに気付いて、その後その枠を外すのだけど、
それは、少し先で、
これから、しばらくの間、
障害者になったわたしを、想像することになった。
看護師の知人が投げかけてくれた言葉から、
自分の體に起こっている事を、真剣に考えてみた。
Duck Duck Go と言う検索エンジンで、
梯子から落下
など検索してみた。
股関節と骨盤の関係性が良くないと、
四つん這いが出来ないと書いてあった。
落ちて2日目のわたしは、體が割り箸みたいな感じだった。
自分の状態が良くない状態であると自覚した。
Sさんにメール
わたし
「Sさん わたしは、回復期に入ったみたいです。仰向けは、まだ怖くて出来ないのですが、横向きが出来ました。
今朝から眠くてずっと寝ていました。
落ちた後初めてです。
動かさなければ、痛みはありません。
昔看護師をしていたから、
入院したらうつ伏せばかりにしてくれないだろうし、骨折があるか?調べるのも、手術するのも、工務店みたいに、電動工具で、ウィーンとやるだろうと思うと、今、家で眠れて幸せです。」
Sさん
「関さんご連絡ありがとうございます。
動かさなければ、痛みがない状態でいられる事、ほっとしました。
痛みほど、辛いものは、ありませんからね。
特注CD出来上がりましたので、
明日お届け出来ると思います。」
わたしは、いつ自覚したのか?
覚えていないのだけど、
左の股関節は、確実に脱臼していたと思う。
右の股関節も、のちに傷から脱臼していたと思った。
左の鼠蹊部の真ん中と
右の鼠蹊部の内側に
ポコんと丸い物が、触ってわかったのでした。
幸いなことに、お姑さんは、長女が出産の時脱臼してしまった事から、長女を背負って、治療に通っていた。
わたし
「おばあちゃん、義姉さんは、どんな装具付けていた?」
お姑さん
「こんな形だったよ」
と指で示してくれた。
カエルみたいな感じだな。
と思って、うつ伏せ寝をしながら、
両股関節を開いて寝るようにしてみた。
続く