いつも読んでいただきありがとうございます。
母と同じ悩みを抱いた人生を、
今生きていると感じています。
少し前まで、この事に、気付きませんでした。
母の人生は、
休みなく働いて、
お金がなくて、
気が弱くて、
全て母のせいみたいな環境でした。
わたしが、抱いていた悩みそのものです。
これが、親子前世敵同士と言う事なのかも?
確かに、わたしは、母に冷たく当たりました。
酷い子どもでした。
けれど、自分の人生の中で、
母の人生の悩みと同じ環境になっていたとは……
本当に気付いてなかったです。
父の人生も、しっかり味わっています。
けれど、父の人生とわたしの人生の環境は、全く違う!
今の思考が未来を創る!
わたしの人生は、わたしが良く書き換える!
わたしは、借金を返す。
父は、ゴミを棄てられなかったけれど、
わたしは、きちんと棄てている。
母の人生の中で、母が1番悪かったなんてことはない!
わたしも含めて、周りの環境が、母を良くする環境ではなかった。
多分、それだけでなく、見えない霊的な環境も、
重くて因縁が深い環境だったと感じる。
父は、神社に信仰することによって、
父自身の人生を、神に委ねてしまったのかもしれない。
自分の人生について、思考したことがなかったと思う。
家族として、愛情にあふれた家庭とは、程遠い環境を、父は、築いていた。
父の人生は、自己犠牲だった。
多分、先祖の信号や神の信号を、
受けるだけの人生だったのかもしれません。
こうして、書いてみると、
母が言っていた言葉を思い出した。
「お母さんのおじいちゃんは、音楽の先生だった。」
多分、お母さんのお母さんのお父さんのことだと思う。
お母さんのその言葉から、誇らしさが伝わってきていたことを思い出した。
母は、そのおじいちゃんに似ていたのかもしれない。
母は、養鶏場にお嫁に来て、365日休みなく働いていた。
養鶏場の中で、大きな声で歌っていたと、父の弟さんのお嫁さんに聞いたことがあった。
母は、歌を歌う事で、困難を乗り越えようとしたのかもしれない。
父は、養鶏場の中の機械が壊れると、
徹夜をして治していた様だった。
母が具合悪くなったのは、
父が帰って来ないことを心配したからかもしれない。
父は、何でも自分で治そうとしていたみたいだった。
器用な人だった。
けれど、神社にお金を運んでいたから、
外注するお金がなかったのかもしれない。
この辺りも、わたしは、父に似ているかもしれない。
梯子から落ちた時、
病院に行かないで治すと決めて、
結局治してしまった。
わたしは、今、お金がないけど、
父と母から引き継いだ才能がある事に、
気付き始めました。
わたしは、今思います。
わたしが、サイマティクスなどで自分の體を治した事を、もっとたくさんの人にお伝えしたい。
今、わたしが伝えなくては、
間に合わない方々がいらっしゃるかもしれません。
多くの方に届くように、
書き続けます!
わたしは長い間ノイローゼだった
シリーズおしまい。