TwitterXをスクロールしていたら、
お子さんが、不登校になって、
声をかけて来たママ友との
微妙な関係性を見ました。
リプをしてみて、
やり取りさせてもらった時に、
わたしも同じ気持ちになった事があった!
と思い出しました。
それは、子どもが小学校6年生の夏でした。
娘と私は、子ども達が夏にキャンプに行くサークルに入っていました。
実は、娘、このキャンプ当日に、
大泣きしてドタキャンした事が、
何度もありました。
6年生最後の年で、
1番歳上なんだから
行けるよね!
そんな、周りのプレッシャーもあり、
娘が行けるかどうか?
わたしの最大の悩みでした。
わたしの中には、
他人に迷惑をかけては、行けないと言う
観念のようなものがありました。
また、親の会でも役員になっていた事から、
子どもたちが、無事に行けるように、
たくさん練習の機会を増やしていて、
自分自身も忙しい中、
時間を作ってボランティアをしていました。
そして、当日、
とうとう
ドタキャンをして
その会を辞めたのでした。
実は、前日に娘と話し合って、
行かないならやめようと
話していました。
辞めると決めていたので、
そこまで頑張って来たサークルの事も、
他の方にお願いして、さっぱり辞めてしまったのでした。
この事に関して、
自分の中では、
原因となる出来事に気付けています。
しかし、
その事を話せる環境が、
そのサークルには、なかったのでした。
けれども、
今となっては、
娘の本当の気持ちを、
他のお母さんたちにお伝えしなかったのか?
そこには、わたしの中にある
自己犠牲があったのだと思うのです。
自分が頑張る事は、当たり前で、
他の人に迷惑をかけては、ならない。
それは、わたしのコンフォートゾーンの時期に、
培ってしまった根深いものがあったのだと、
今、気付きました。
今のわたしなら、
同じサークルのママさんたちに、
集まってもらって、
本当の娘の気持ちを伝えて、
話し合いを持つ選択をします。
実は、この時、にこう言った人がいました。
「小さな子たちの為に、当日ドタキャンしてもいいから行くと、噓をついて……」
これを言われたのは、その会の事務局長さんでした。
わたしは、本当に苦しかったけれども、
事務局長さんの言う通りにして、
娘は、言われた通りに、
ドタキャンしました。
わたし自身は、この事務局長さんに、本当の気持ちを話さなかった。
ママたちにも、話さなかった。
だから、
その会では、娘ほど、わがままな子はいないと
噂になったかもしれない。
ドラゴンゲートメソッドをやった時
この出来事に蓋をしていて、
その時も、苦しさがそのままだった。
思い切って、その時のママさんに確認をしに行ってみた。
そうした時に、お相手が、娘を心配してくれていた事を感じられた。
その後、偶然お会いした時に、
その方は、娘が小さな町が嫌いだったのかな?
みたいなニュアンスの言葉を聞いた時に、
きちんと、あの時の気持ちを、
伝えなかったから、その様に思われているかもしれない。
と思ったのです。
娘は、その会の子たちが好きだったと思うし、
集まってワイワイ過ごした事は、楽しかったかもしれない。
ただ、キャンプに行きたくない。
それだけだった。
それを、わたしがキチンと伝えなかったから、
いけなかった。
事務局長さんに、直談判する勇気がなかった。
その会にいる間
わたしは、自己犠牲をしていた様に思う。
その後、
わたしは、SNSを始めたりして
だんだんと自己犠牲を辞め始めた。
ドラゴンゲートメソッドで、確認に行った時、
「元気だった?○○さんが心配していたよ。」
そんな風に言われた。
ワクチン反対していた時期に
周りの方々と意見が合わなくて、
色々な会を辞めた。
ママ友?と言える人は、多くなかったけど、
ほとんどの人との縁が自然消滅した。
そうして、色々な人と関わらなくなった時、
自分の時間が取れるようになって来た。
子育てしている時は、
ママ友とも近い関係だったと思います。
その時のやり取りの中で、
自分の中にある
自己犠牲が、選択の基準にあって、
すごく忙しい日々を送っていました。
今なら、事務局長さんとしっかり向き合うと書いたけれども、
今なら、もっと早くその会を辞める選択をしていたかもしれないなぁ。
辞めてはいけないって
頭で思っていた。
それは、きっと、
先祖の信号だったのかもしれません。