2023年11月29日(水)8日目
梯子から落ちて1週間が経った。わたしが、救急車に乗らなかった理由の一つに、りんごの荷造りをしなくてはいけないから……。
それをしなければ、我が家は、破綻する。
そう思い込んでいたし、実際に入院して、手術した時にら支払うお金がないと、わたしは、思っていた。
共済程度の保険は、入っているものの、それでは足りないと思い込んでいたし、
絶対上手く行かないと、イメージがあった。
だから、救急車には乗らない選択をした。
我が家は、農家を営んでいて、忙しく働いて来た。休みなく働いても、借金をどうにか返して、また借金をする事を繰り返していて、
毎日毎日どうしよう?と悩んでばかりいた。
とくに、梯子から落ちる前は、りんごが不作である事もあり、どの様にやりくりしたら良いか?イメージが出来なくて、本当に毎日毎日お金について、悩んでいた。
もう何年も、休みなく働く事を自分に課せていた。最近は、たまに雨の日には、長めに昼寝するくらいのお休みを取るくらいだった。
休みなく働く事が当たり前で、誰かに頼むより、全て自分でやると決めてする事も多くあり、
結果、1人夜遅くまで働く事が当たり前だった。
それは、時に、りんごの荷造りであったり、伝票整理だったり、頼まれたアルバイトだったりして、自分をまるで、雑巾のように使って来た。
それなのに、借金を返して、また、借金をする事は、変わりなく続いていた。
今、梯子から落ちて、わたしは、うつ伏せ寝をしている。何を考えても、始まらない。
こうして、寝ることしか出来なくなってしまった。
サイマティクスオリジナルCDが届いてから、
24時間かけ続けている。
右腕と、首が痛くて、うつ伏せ寝が辛かった時もあった。けど、いつの間にか、その痛みが楽になって、食事も美味しいし、食べたら、ちゃんと排泄もスムーズに出来たし、そのあとは、ゆっくりとしている。
借金が大変だった事も、寝ていると仕方ないに変わって来た。
12月1日から、りんごの荷造りをする為に、
主人にりんごの選別をしてもらった。
りんごの選別も、わたしの仕事の一つだった。
梯子から落ちる前まで、収穫が終わったりんごを、選別してビニールに入れた。
そのコンテナは、分類されて、キチンと積み上げられて並べてある。
本当は、自分で発送したかった。
けれど、今は、立つことも歩くことも出来ない。
座ることも、起きることも出来ない。
うつ伏せ寝しか出来ないわたしでは、りんごの荷造りは、出来ない。
せめて、事務作業くらいは、出来るかも?と、
パソコンを手の届くところに、下ろしてもらった。
明日から、伝票を打つ為に、パソコン入力をやる事を決めた。
荷造りは、お姑さんと主人にお願いする為、
やり方を、紙に書くことにした。
この日から、主人に短い手紙を書く事にした。
だいたい
「寝たきりでゴメンネ」
みたいな感じだったり
わたしの実家の家族や親戚の話だった。
あまり、話して来なかったので、
良い機会となった。
わたしの父と父の妹さんは、過去に何かあり、
仲違いをしていた。
わたしは、父の妹さんにお世話になっていたので、主人も仲良くさせてもらっていた。
父が倒れた時に、父の妹さんに連絡したのは、主人だった。
病院に着くと、父は、亡くなった。
それから、仲違いした妹のおばさんも、お葬式に参加してもらう事になった。
その時に、仲違いしていた、他の親戚との微妙な空気感があった。
それを知らなかった、主人と妹のおばさんは、いつものように普通に話していた。
それを見た、仲違いした親戚の方が、
憑依したような感じになって、
後日「○○○さんを許せない!!」
と叫んだ。そして、病気になって入院された。
わたしが、知らなかった仲違いの原因を、
知ることになった。
わたしの父は、
生前「妹のことは、オレはわからない。」
と、善悪での表現を避けていた。
わたしは、この親戚の方が憑依的になったのは、
交通事故に遭ったおばさんの想いだったのではないか?と思っていた。
この方が、退院された時、叫んだ事を、
全く覚えていなかった。
このような、微妙な親戚関係と言う事を、
主人に話した事がなかった。
わたしは、最近気付いていた。
妹のおばさんは、人の良い、主人を、
人質に取るような行動をしていたのかもしれないと……
そのおばさんに、わたしも都合よい人だったのかもしれないと……。
ずっと、父の兄弟姉妹の争いを、
自分の事のように悩んで来た事を、
辞めようと思った訳ではない。
けど、サイマティクスCDを、
毎日聞いていると、こころが平和になり、
心地よい人とだけ、
連絡を取るようにする事を、
自然と選択していた。
そして、そのことを、手紙で、
主人に伝える事で、
わたしは、一つの安心を得ることが出来たのでした。
主人に感謝です。
ありがとう。
続く