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はしごから落ちて奇跡的に元の状態に戻ったわたしその2

22日続き

わたしは、落ちたままの状態でしばらく寝ていた。家族とお手伝いさんが、りんごを取る音を聞いていた。(お姑さんは、お手伝いのおじさんに声をかけてくれた。)
お茶を飲む時の、みんなの話し声が聞こえた。
主人が高所作業車を、使っている音を聞いていた。

時々、お姑さんが大丈夫?と聞いてくれたので、
「大丈夫」と答えて、
「わたしの部屋に布団を敷いて欲しい」
とお願いをした。

わたしは、骨が折れているかもしれない。
でも、救急車に乗りたくない。
それだけは、決まっていた。

「お部屋に帰って、電気をかけたい」

わたしは、超短波治療器を持っている。
それを、電気と読んでいた。
超短波をかけたらきっと良くなると思っていた。

お昼になった。

主人が
「おんぶするから乗れ」
と言ったけれど、起き上がれなかった。

主人は、「どうするか?」と言って、
親戚に声を掛けて、男性3人が集まってくれた。

消防団に入っている方が、棒2本とこたつ掛けカバーで、簡易担架を作ってくれた。

乗る時仰向けは、激痛で出来なかった。
痛かったけれど、うつ伏せのままずれて
どうにか担架に乗れた。

りんごを運ぶ、電動車にわたしの乗った担架を乗せて、自宅前まで来た。

「ここで救急車を呼んだ方がいいんじゃないか?」
と親戚の方が言われた。

わたしは、

「部屋に運んでください。救急車は、絶対に嫌です。」

と訴えました。

主人が、
「本人がこう言うのだから、家に運んでください」
とお願いして、

男性が「重い!」
と言われる声を聞きながら、
わたしは、自分の部屋の布団の中へ運ばれた。

わたしは、畑でずっと、自宅の布団の中で電気をかけたいと思っていた。

希望通りにしてもらって嬉しかった。
けれど、全身の痛みは激しい。
とにかくうつ伏せのまま、背中に電気をかけてもらった。

CDプレーヤーをもって来てもらい、サイマティクスCDの疲労回復を、ずっとリピートでかけ始めた。

娘から電話が来た。

「あんたバカなの?」

娘から言われた。

「貴方と話す暇はない」

切った。

すぐ、サイマティクスサロンのSさんに電話をした。

Sさん 
「関さんが、持っているCDは、骨に良いものは、ないですね。」

そして

「明日の午後なら行けますけど、行きましょうか?」

と言っていただいた。

藁にもすがる気持ちで、

「お願いします」

と言って電話を切った。

わたしは、それまで我慢すると決めた。

水だけは、飲むけれど、
食べないと決めた。

お姑さんが、
「トイレどうする?」
と聞いてくれた。
わたしは、
「オムツでお願いします」
と言った。

お姑さんは、オムツを買って来てくれた。

お姑さんに、オムツを当ててもらって、
おしっこをした。

出来るかな?心配だったけれど、出来た。

一つ解決出来た。

オムツを当てる時、外す時、
少しでも動かすと痛くて辛かったけれど、
オムツでおしっこが出来て安心した。

お姑さんが布団をかけてくれるのが、
ありがたかった。

夕方にも家族が、イベルメクチンを持って来てくれたから飲んだ。
もしかして、内臓に何かがあったら、食べたら吐くと思う。
そうしたら、家族は、心配になって救急車を呼ぶ事になると思う。
だから、水分だけで、ご飯は食べない事にした。
そう思ったのは、オムツを当てる時に、少し動かすだけで、お腹の辺りで、ポキポキ音がしてたからだった。

おばさんが、急変したのも、内臓に何か変化があったのかもしれない?そんな風に疑って考えていた。

偶然にもわたしは、自家製ジャムを、1週間くらい前に作っていた。
カリンとりんごとトマトジャムだった。
それが、とても美味しくて、
わたしは、コーヒーの瓶にいっぱい入っていたジャムを、1人きりで食べ切っていた。
それもたった2日あまりで……

それが昨日のことだった。
今朝もたくさん食べていた。

だから一日くらい
何も食べなくても大丈夫と思った。

疲労回復のCDは、ずっとリピートでかけていた。

続く