連日のジャニーズ問題を、
一月万冊のYouTubeを観て、
考えていた。
昨日、安富歩さんのおはなしを聞いて、
わたしの中の潜在意識にある物が、
何か上がって来て、
瘡蓋が取れたように思う。
わたしは、数週間前から
苦手な親戚が泊まりに来る事を、
苦にしていた。
何故なら、その方々が話される一言に、
過敏になって、
自己犠牲的な行動になってしまっていた。
「○○ちゃんは、ほこりアレルギーだから……」
この一言を聞いて以来
うちにある全ての布団を、
順に干して、
寝具を洗い、
来る2日前から大掃除
仕上げは、ミーレの掃除機で、
布団の埃を吸い取った。
2日前から空気清浄器をかけた。
来る当日は、家中雑巾掛け。
普段は、農家だから、家にいる事は、少ない。
晴れた日は、畑。
そんな天気の良い日に
二日に渡り掃除をした。
そうしたら、
お姑さんが、堪忍袋の緒が切れた。
「天気がいいのに畑に行かないなんて……」
こちらも 堪忍袋の緒が切れた。
親戚が来る直前に、畑に行った。
そして、その後、
掃除のバイトへ行って、
帰って来てからも、
部屋には入らずに、
荷造り場で夜業をした。
少し前
TwitterXにて
眠りさんに
とぐろを巻いているみたいと
言われたことがあった。
言いたいことを、
なかなか言えなくて
とぐろを巻いていた自分を
イメージした。
作業場での仕事は、辛くない。
苦手な親戚と
意味のない
ただ合わせるだけの
話をするよりは、
ずっと楽しい。
眠りさんのツイートを
リツイートしてみた。
良かったら見て下さい。
自分の気持ちを、
正直に書いてみた。
わたしの中には、
すごい怨みの気持ちがあった。
22:45に
仕事を終えて家に入ると
みんなでテレビを見てまったりしていた。
台所に入って、
茶碗などの片付け
洗濯を畳んで
皆さんに声をかけて
洗面所を使っていただいてから
お風呂に入った。
0時だった。
その後
すぐに寝れなかった。
今朝、
お客さんの方が早く起きていたけど、
慌てて起きる事は、しなかった。
起きて、すぐ食事をしてから、
皆さんの食事の用意。
片付け。
お手伝いさん お茶の用意。
ふと苦手な方と二人になるタイミングが来た。
思い切って
話しかけた。
「○○って事は、わたしに寝ずに仕事をやりなさいって事ですか?」
そのあと、わたしの口から
自然と出て来た言葉
「お姑さんは、わたしの父に身体の悪い嫁は要らないから持ち帰ってくれと言いました。わたしは、父に聞いたのです。」
お相手は、何が言っていましたが
更に
「わたしたちの仕事を見た事がありますか?」
そして、畑に行く時間になったので、
一方的な感じで、わたしは、出かけました。
そう言えば、見送りもしませんでした。
畑には、パートさんが来るギリギリに着きました。
畑の作業は、気持ち良く良い天気でした。
畑でりんごの葉摘をやりながら、
わたしが自己犠牲して来た原因が、
はっきりと分かりました。
仕事の出来ない嫁は要らない
そうお姑さんが父に言った言葉でした。
父は、わたしにお姑さんが、
こんな風に言ったから、
帰って来るなら
お父さんも考えると言ってくれました。
ジャニーズ問題を、紐解く安富歩さんのおはなしを聞いているうちに、
わたしのなかに、繰り返し言われた言葉が、
自分自身をいかに傷つけていたのか?
その事に全く気付かない環境にわたしは、居ました。
「働かない嫁は要らない持ち帰ってくれ」
なんて、娘に言われたら、
どう行動しますか?
主人なら、キレてしまうでしょう。
娘なら帰って来ます。
父は、わたしを守る環境がなかった。
仕方ないと思うしかなかった。
優しい父だったから、
お姑さんを想った。
「お姑さんも辛いんだ、優しくしてやれ」
「肩が凝り首が固くなるとこうなるから、マッサージしてやれ」
そう言ったのです。
わたしは、父が言うように、
お姑さんのマッサージを始めました。
最近は、イベルメクチンとサイマティクスCDで、マッサージは、やらなくなりました。
父は、姑さんを思って言ってくれた。
けど、わたしの気持ちには、
気付かなかった。
わたしは、他人に対して、一生懸命に動いていたけれど、自分自身については、自己犠牲が当たり前であると思って来たのでした。
けれど、
それも悪い事ばかりではなく、
りんごの摘果が上手になったり、
身体が丈夫になったり
重い物が持てるようになったりした。
けれど、わたしが自己犠牲を強いると
他人もわたしが自己犠牲をするのが当たり前だと思うみたいだ。
わたしは、今日その方に言った。
「わたしが、掃除で畑に出れなかった事を
お母さんに謝ってください」
けれど、謝る事はなかった。
相手の方からすると
侮辱されたとか
傷ついたとか
言われるかもしれない。
これは、わたし自身のたたかいだった。
わたしの母は、言いたいことを言えずに、
病気になって亡くなった。
因縁因果で、
わたしは、言わないとか
言えないを選択を普通にしていた。
それが、
眠りさんのとぐろをまいてるみたい
の一言から
自分の中にある
何か不自然な物に気付いて、
安富歩さんのおはなしから
わたしの受けた傷は、
ジャニーズ問題と似ている。
約20年の傷あとだった。
今、ジャニーズのスターの方々は、
まだ、傷に気付いていない。
違和感のあとに、
傷に気付いてくるはず、
そして
昔その方々が好きだった方々も
自分自身が傷ついて、
目を逸らす為に
ハマったのかも?
そんな風に
気付く時が
近いうちに来ると思う。
その方に
メッセージをしました。
わたしの中では、働かない嫁はいならないと言う事がありますから、必死に働いています。
時点を変えれば、
お母さんも言われて来たのだと思います。
お母さんは、ずっと畑に行っていましたからね。
わたしが娘を面倒見ることを、遊んでいると言われて切なかったけど、お母さんは、それを許されていなかったのかもしれません。
そんな循環が関家には、時折あります。
父の視点は、間違えていなかった。
わたしに伝えてくれた言葉は、
わたしを幸せな方向に導いてくれました。
今日の夕飯は、鍋でした。
お肉を食べると言う
お姑さんのうつわに、
お肉を運び、
もくもく美味しそうに食べる
お姑さんを眺めてうっとりしました。
幸せでした。