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わたしは長い間ノイローゼだったその8

いつも読んでいただきありがとうございます。

母と同じ悩みを抱いた人生を、
今生きていると感じています。

少し前まで、この事に、気付きませんでした。

母の人生は、
休みなく働いて、
お金がなくて、
気が弱くて、
全て母のせいみたいな環境でした。

わたしが、抱いていた悩みそのものです。

これが、親子前世敵同士と言う事なのかも?
確かに、わたしは、母に冷たく当たりました。
酷い子どもでした。
けれど、自分の人生の中で、
母の人生の悩みと同じ環境になっていたとは……

本当に気付いてなかったです。

父の人生も、しっかり味わっています。

けれど、父の人生とわたしの人生の環境は、全く違う!

今の思考が未来を創る!

わたしの人生は、わたしが良く書き換える!

わたしは、借金を返す。

父は、ゴミを棄てられなかったけれど、
わたしは、きちんと棄てている。

母の人生の中で、母が1番悪かったなんてことはない!
わたしも含めて、周りの環境が、母を良くする環境ではなかった。
多分、それだけでなく、見えない霊的な環境も、
重くて因縁が深い環境だったと感じる。

父は、神社に信仰することによって、
父自身の人生を、神に委ねてしまったのかもしれない。
自分の人生について、思考したことがなかったと思う。
家族として、愛情にあふれた家庭とは、程遠い環境を、父は、築いていた。

父の人生は、自己犠牲だった。
多分、先祖の信号や神の信号を、
受けるだけの人生だったのかもしれません。

こうして、書いてみると、
母が言っていた言葉を思い出した。

「お母さんのおじいちゃんは、音楽の先生だった。」

多分、お母さんのお母さんのお父さんのことだと思う。
お母さんのその言葉から、誇らしさが伝わってきていたことを思い出した。

母は、そのおじいちゃんに似ていたのかもしれない。

母は、養鶏場にお嫁に来て、365日休みなく働いていた。
養鶏場の中で、大きな声で歌っていたと、父の弟さんのお嫁さんに聞いたことがあった。

母は、歌を歌う事で、困難を乗り越えようとしたのかもしれない。

父は、養鶏場の中の機械が壊れると、
徹夜をして治していた様だった。

母が具合悪くなったのは、
父が帰って来ないことを心配したからかもしれない。

父は、何でも自分で治そうとしていたみたいだった。
器用な人だった。
けれど、神社にお金を運んでいたから、
外注するお金がなかったのかもしれない。

この辺りも、わたしは、父に似ているかもしれない。

梯子から落ちた時、
病院に行かないで治すと決めて、
結局治してしまった。

わたしは、今、お金がないけど、
父と母から引き継いだ才能がある事に、
気付き始めました。

わたしは、今思います。

わたしが、サイマティクスなどで自分の體を治した事を、もっとたくさんの人にお伝えしたい。

今、わたしが伝えなくては、
間に合わない方々がいらっしゃるかもしれません。

多くの方に届くように、
書き続けます!

わたしは長い間ノイローゼだった
シリーズおしまい。