最近Twitterで積極的に発信していないのですが、流れて来た投稿に、返信した時の事。
「わたしは、絶対に許さない。」
お子さんがいじめに遭った出来事に対して、
その様にリプされた方がいらっしゃいました。
わたしは、今、色々な勉強をして来て、
怨んだら、怨まれる。
と言う事を、実体験から学んで来た事を、
思い出しました。
それは、3年前から
宇宙人生理論にご縁した事から、
オンライン未来塾を、
月一回受ける事から、
小さな変化は、始まりました。
必ず、その月のおはなしの内容を、
何度も見返して、
自分で目標を決めて行動していました。
実は、そのまた3年前には、
ネットワークビジネスで、
勉強した事から、目標を決めて行動する。
その様な動き方は、
わたしにとって
普通だったのでした。
振り返ってみると、
17才の時から、新興宗教に入信して、
仏教を学んだりしていました。
その頃から、
目の前に目標を立てて
頑張ってみる事は、やっていた事を、
今思い出しました。
その事が、良いと思った事は、一度もなく、
自分は、なんてダメな人なんだ!!
そんな思考がわたしの頭の中では、
ぐるぐるしていました。
そんなわたしは、
いつも、嫌いな人を、
徹底的に嫌うところがありました。
それは、独身時代の方が強かったです。
最近では、嫌いな人?
分からないなぁ。
そんな感じに変わって来ました。
わたしが、失敗した
怨んだ経験を一つ披露します。
幼稚園の保護者会長を、
した時がありました。
くじに当たってなってしまったのでしたが、
年少の時に、すでに役員をしていたのに、
やる事になったのでした。
その役員を終わる頃に、
わたしの代わりにやるべき人が居た事に、
気付いてしまったのでした。
それは、その人が巧みに逃げていて、
他の保護者も全く気付かなかったのでした。
その頃のわたしは、
人前に出るのが苦手で、
人が嫌いでした。
たくさんのトラウマを抱えて、
投資の勉強を始めていました。
お金に期待していた自分がいた事に、
今、気付きました。
お金があればなんとかなる!!
だから、お金が欲しい。
そんな思考がありました。
そんな中、頑張って保護者会長をやり終えました。
しかし、その反面
その役員を巧みに逃げた方を、
怨む事、9年。
その気持ちを隠していました。
これは、娘にかなり、負担をかけていたと思います。
その方のお子さんは、優秀なお子さんでした。
とても人気がありました。
中学に入ると
娘は、部活が一緒でした。
その方のお子さんは、確か副部長をされていた様に思います。
中学3年の時、
その方が、中学のPTA副会長をされました。
その時に、
怨んだ気持ちを、
捨てようと決めました。
その9年間、
わたしは、家族と喧嘩をしていました。
娘と主人とお姑さんと主人の妹さんと……
怨んだら
怨まれる
本当にその通りでした。
でもその頃のわたしは、
全く気付かなかった。
自分は、悪くない。
自己防衛していました。
心を閉ざしていましたね。
だから
色々な出来事に出会ったのでしょう。
必然でした。
その当時のわたしは、
なぜ、わたしばかり……
そんな気持ちでした。
この記事の事を
一つ付け加えると
親戚の方は、
母とのトラウマがあったわたしに、
早く忘れなさい
考え過ぎよ
と良く言われていて
優しくしてくださるから
甘えてしまっていました。
けど、
どうも、亡くなった母は、
この方を怨んでいた可能性がある事が、
分かって来たのでした。
若かったわたしは、
47才で亡くなった母の気持ちが、
良く分からなかったのです。
でも時が経つにつれて、
母の苦しかった気持ちが、
わたし自身が、身をもって体験する出来事が、
数多くあり、
いっそ
川まで歩いて
身投げをしよう
そのくらい
悩んでいた時期でもありました。
その親戚の方と
温泉に行こうと約束した事がありました。
子どもが低学年の頃でした。
わたしは、話を聴いてもらいたくて、
その日を楽しみにしていました。
約束の日
待っても一向に現れなかったので、
電話をすると
明日だと思っていた!
と言われました。
すごく残念でした。
けど、
今考えると
亡くなった母が、
邪魔したのかも知れません。
まるで、お母さんの代わりの様に振る舞う
その方に対して、
亡くなった母が、怨みの念を
送っていたのかも知れません。
なぜそう思うのか?
母は、ずっと成仏していなかった。
そんな風にわたしは、最近思うのです。
わたしの母は、母だけ。
今、わたしは、そう思っています。
その頃、親戚の方に会うと
いつも、父や母について、
良くない話をされるので、
わたしは、父や母に対して、
嫌な感情を持っていて、
特に母に対しては、
いくじなし!!
など
こころの中で罵声を浴びせていました。
怨んだら
怨まれる
事象は早くわたしに来ました。
娘の反抗期が早くやって来て、
ある時期は、
クソ
シネ
ブタ
と繰り返し言われたことがありました。
その様に、言われて、
初めて
自分が母にして来た事を、
悔いる様になりました。
わたしは、母が亡くなった寂しさを、
親戚の方や
知り合いの方に
慰めてもらっていました。
わたしは、若い頃エネルギーがなくて、
いつも
誰かに頼りたい。
そんな弱々しい自分でした。
かわいそうと思って、
手を差し伸べてくれたのだと思います。
しかし、
今から20年前の事ですから、
夜の時代から
昼の時代へ切り替わる時期だったと思うのですか、まだまだ、夜の時代だったと思います。
嘘騙しのエネルギーが強い時代でした。
わたしは、優しくしてくださるから
甘えてしまって、
その裏に隠された物を、
全く見えていなかったのです。
だから、
色々な事があったのだ!!
実は、その背景にあるものが、
見えない存在だったりしたと言う事も
今は、だんだんと理解出来て来ました。
その辺はまたいつか。
分かっていただけましたか?
怨んだら
怨まれる
だから
怨まないで、
味わい切る。
それぞれが
自分の気持ちを探究する。
昼の時代には、必然な事ですね。
わたしが遭ったようにならない為には、
学んでくださいね。
今年の夏は、暑くて
へとへとです。
でも
86才のお姑さんが、
りんごの収穫を、
汗だくになって
お手伝いしてくれました。
ありがたい
すごいって
思います。
お姑さんは、愚痴を言いません。
わたしは、鍛えて頂きました。
最近、お掃除のお手伝いに行っても、
喜ばれるのは、
お姑さんのおかげです。
20年間
優しく
厳しく
教えていただきました。
かわいそうな子なんて、
甘やかされた事は、
一度もなかったです。
だから、
厳しくしてくれる方の
奥にある気持ちも、
昼の時代になったから
良く見える様になったみたいです。
毎日お姑さんに、感謝しています。
感謝は、鎧になる!