お姑さんの視点で、考えたことがなかったけれど、お嫁に来て20年以上経つと、
自然に考えられてしまうので、不思議です。
今考えると、お姑さんも若かった。
お嫁に来て3年目くらいには、娘も生まれました。仕事は、近くのパートに行ったり、農業をお手伝いしたり始めていたと思います。
夕方、なかなか、帰って来ないお姑さんを、
待ちながら、夕食の用意をするようになりました。
帰って来ると、ドスドスと足音を立てて、
時々、低い声で、怒鳴る時があって、
娘とビクビクしていた時期がありました。
この頃、お姑さんの言葉が怖いと、
わたしは、思っていました。
よく、主人と喧嘩をするようになったのも、
この頃から約10年くらいでした。
わたしは、この家を出て行って、
川に飛び込みたい衝動に駆られてしまう事がありました。
主人と喧嘩をして、家を飛び出してみたものの、
行く場所もなくて、りんごの木の下に佇んでいました。
このまま、歩いて川まで行くか?
家族に謝るか?
娘の泣き声が聞こえていました。
わたしは、いつも、謝りました。
けれど、この喧嘩は、定期的に?
と言うくらい繰り返していました。
こんな時、お姑さんは、
「あんた精神科行ったらどうだ?」
とか
「こんな嫁さん見たことない」
など、わたしにとっては、辛い言葉を、
かけていたように思います。
わたしは、結局、結婚をお世話してもらったY奥さんに愚痴を言うようになっていました。
Y奥さんと、会ったり電話で話すと、
お姑さんの機嫌が、ものすごく悪くなっていたと、今思い出しました。
そんな、お姑さんと、毎日一緒に過ごしていました。
時々機嫌が悪くなるのが、変わって来たのは、
お姑さんが、ゲートボールにのめり込んだ頃からだったかもしれません。
それまでは、1番先頭をたって、農業をやって来たお姑さんでした。
それが、今では、ゲートボールの予定が1番になっています。
Y奥さんと会って、投資にのめり込み、
せっかく増やした元本がなくなってしまった時、
お姑さんは、心配になって、お姉さんに相談したみたいでした。
その時、お姑さんは、お嫁さん失敗したと思ったかもしれません。
父に言った、
「からだの弱い嫁は、要らない!」
そんな言葉も、
嫁さん詐欺にY夫妻に遭わされた!
そんな風に、思っていたのかもしれません。
わたしは、娘の子育てに悩んで、子育てサークルの役員をしたり、幼稚園や学校の役員の予定が入って来ると、主人と喧嘩をしても、
謝るのが、早くなって、川に飛び込みたい衝動は、なくなりました。
父は、借金があったけれど、
父の、お姉さんに助けてもらって、
なんとか全てを手放して楽になりました。
それからの父は、いつも優しくて、
お姑さんの気持ちを汲んで、
「優しくしてやれ」
といつも言っていました。
お姑さんは、お嫁さん詐欺に遭っても、
挫けないで、わたしを育てていたのだと思います。
お互いに、未熟だったけれど、
お互いに、一つひとつ乗り越えて来たのだと
思います。
お姑さんて、本当にすごい人です。
今日、こごみを取りに連れて行ってもらって、
写真を、義妹さんに、見せてもらいました。
残念なマスク姿……
わたし
「もう、これからの写真は、マスク取ってね!
ほら、お葬式に飾られるんだからね!」
お姑さん
「若い写真を使ってちょうだい」
わたし、
「たとえば、106歳が86歳の写真とか……
0歳と20歳の写真だったらまるでちがうからね!」
と、わたしも何を言っているのだか?
テストしたのかな?
わたし……
お姑さん
「まだ、行かないから大丈夫!」
わたし
「それならいい!」
何がすごいって、
ちゃんと決めるのです。
お嫁さんが欲しい時だって、
Y夫妻にしつこく頼んで、
「息子にお嫁さんもらう!」
って決めていたのだと思います。
あの頃、弱々しかったわたしは、
お姑さんに、引き寄せられて、
来たのかもしれません……
けれど、
元気なお姑さんと、
過ごして来たら、
わたしもエネルギーが、増し増しに、
なって来ました。
ここまで、読んでいただき、
ありがとうございます。