いつも、読んで頂きありがとうございます。
当たり前と言う言葉で、
才能を消してしまっていた過去を、
書き換えます。
わたしの母について
お母さんは、
美味しいご飯を作ってくれて、
洗濯をしてくれて、
掃除をしてくれて、
宿題も時々見てくれて、
わたしの為に、
たくさんしてくれました。
母が、元気な時には、
全て当たり前な事でした。
わたしは、母がしてくれた事に、
感謝する優しさが全くなかったです。
母は、繊細な人だったので、
母にしてもらった事は、
当たり前でないと、
結婚してから思いました。
実家から離れて、
今の家で生活するようになった時、
わたしは、母がしていたように、
家事をしたいと思っていたとは、
気付かなかったけれど、
ブログを書いていると、
自分の潜在意識が見えるみたいな
感覚になって来たのかもしれません。
わたしが縁した学びの心地よさは、
母がしてくれた事だったりしたのかも?
母は、忙しい人だったので、
家事は、合間仕事だったと思います。
けれど、母が元気だった時には、
わたしは、満たされていた事に、
今気付きました。
満たされていたと言うのは、
当たり前だと思っていた環境です。
暖かなご飯。
おばあちゃんとお母さんと3人での食事。
着ていた洋服は、出しておいたら、
綺麗に洗濯して干してもらって、
畳んで部屋に置いてもらう。
母の雑巾掛け姿を見るのが好きだったし、
床が綺麗な事も当たり前だった。
宿題の時、
漢字の書き方が汚いと、消しゴムで消すのだけど、それに反発して綺麗に消さないと、母が綺麗に消してくれた。
小さな時、母と過ごした時間は、
短かったけれど、
わたしは、とても満たされていました。
母には、家族を心地よくする、才能がありました。
わたしは、普通と言う言葉を、
使っていても、
その状態が、最大級に恵まれていたとは、
考えたことがなかった。
多分、わたしは、小さな時から、
父と父の弟さんが、毎晩話す、
父:「もうすぐ儲かるぞ!」
父の弟さん:「もうすぐっていつだ?」
父:「きっとうまくいく!」
父の弟さん「そうかな?」
二人は、毎晩そんなはなしをしていて、
わたしは、階段に座って、
そのはなしを聞くのが、好きだった。
わたしの中で、
儲かったら、きっと素晴らしい日がやって来る?
そんな希望を抱いていたのかもしれません。
その時から、40年の歳月が流れました。
わたしの口癖は、
「きっと、いつか、だれか……」
天河りえ先生の魂職を見いだすセッションで、
気付きました。
今日も、zoomのビデオを観ていました。
わたしは、こうしたい!
と言う事がなかった。
それは、ドラゴンゲートメソッドの時、
本当に困ってしまったワークでした。
そのわたしの元にあるものが、
父の神様への依存に憧れていた状態だった?
そうかもしれない!
自分の思考を、再度見直して行きます。
母がしてくれたことに対して、
普通でしょ!
と冷たくした事から、
母は、具合が悪くなって、
どんどん
どんどん
悪くなっていきました。
その原因を作ったのか、
わたしだったかもしれないなんて、
考えてもみませんでした。
母が、わたしにしてくれたことは、
普通ではなく、
最大級に恵まれていた環境だったのです。
だから、わたしは、母がしてくれた
環境に近付きたくて、
色々な学びをして来たのかもしれません。
今、わたしがしている事は、
母にしてもらったことでした。
続く