誤解されても、愛を語りたいと思えた日

はじめに

声を失っていたわたしへ
今までの人生で、
「言いたいことがあるのに、伝わらなかった」
「わかってほしかったのに、わかってもらえなかった」
そんな経験を、何度も繰り返してきました。
相手のためを思って伝えた言葉が、
まるで逆の意味で受け取られてしまったこと。
それがあまりにも苦しくて、
「もう、言わないほうが楽かもしれない」
そうやって、自分の本音をしまい込むことに慣れていきました。

でも──
あの日、
2025年6月7日
セリアアストラソウルリーディング1回目が、きっかけで、自分自身を閉ざしてしまう理由を、
知ったことと、アストラが出してくれた、
魂詩を読んだり、ワークをして行く中で、
だんだんと冷たく凍りついた様な気持ちが、
だんだんと変化して来ました。
セリアアストラソウルリーディングは、繰り返し受けるようになり、4回目の、2025年12月25日をきっかけとして、わたしは「それでも語りたい」と思えるようになったのです。

家族という“沈黙の風景”
わたしの家は農家です。
嫁いでから 23 年間、ずっと畑に出て、りんごとぶどうを育ててきました。
とは言え、始めの10年間は、パートに出たりしてお姑さんと主人が、メインの農業者でした。
それが、いつのまにか、主人とわたしが、メイン農業者となりました。

お金のこと、暮らしのこと、家族のこと。
すべてを「黙って背負うこと」が、美徳だと思っていました。
でも、ある時から、わたしは、関邦子ブログに、言葉を綴るようになりました。  

黙っているだけでは、どうしても“誤解される何か”が、この胸の中に溜まっていったからです。

「伝えることは、押しつけではない」と知った瞬間

セリアさんとの出会いは、まるで鏡のようでした。
わたしの中にあった“わかってもらえなかった過去”を、ただ静かに受け止めてくれる存在。
そこで初めて、
「伝えることは、相手を変えようとすることではない」
「ただ、自分の真実を差し出すことなんだ」
ということに、気づいたのです。

愛を語ることへの、わたしなりの決意

あなたは、あなたのままでいいよ」と伝えられるなら。
それはもう、誤解されてもいいことだと思えるのです。
今日の暮らしのなかで見つけた、愛の種
わたしの愛の表現は、
りんごをむく手だったり、
夜なべして書いたブログの 1 行だったり、
ふと思い出した人にかける一声だったりします。
派手なことは何もないけれど、
毎日暮らしのなかに、わたしなりの“祈り”を込めています。

さいごに:

この 関邦子ブログを読んでくれたあなたへ
もし、あなたも「誤解されるのが怖い」と思っていたら──

それでも、あなたの声は世界に必要だと伝えたいです。
わたしは、わたしの言葉で、愛を語ります。
これからも、ぶれずに、怖れずに。
わかってくれる人が、一人いれば、それでいい。
そう思えた日から、わたしはもう、ひとりじゃなくなりました。