わたしの、おばさんに対するトラウマは、
ずいぶんと楽になって来た。
おばさんには、感謝しかない。
わたしは、父のお姉さんにあたるおばさんを、
はっきり意見を言う怖い人だと思っていた。
わたしが、投資を勉強した時、おばさんにも利益が出たらいいに、と純粋な気持ちで、勧めてしまった。
一緒に、勉強会に出かけたりした事があり、
その時に、初めておばさんと雑談をした。
おばさんは、食事を、出来るだけ手をかけて作られていて、一緒に出かける日には、おはぎやおやきを作ってくれる事もあった。
おばさんは、株やアパート経営などを、コツコツとされて来ていて、財運があるように見えていたけど、生活は、質素で、おばさんの家の中の景色は、何十年も変わらないままだった。
それが、どう言うことを意味するのか?
わたしは、理解していなかった。
父が自営業で行き詰まると、相談するのは、いつもお姉さんだったと思う。
わたしが嫁ぐ前に住んで居た家に、おばさんは、良く草取りに来てくれていた。
おばさんは、休みの日を、草取りに使ってくれていたのかもしれない。
それなのに、ちょっと怖いおばさんて思っていました。
その後、投資元本が帰らないと、○○さんから連絡があった時、おばさんは、わたしに辛く当たったけれど、どうすることもできなくて、
やっこうりんとご縁するようになった時に、出来る時は、供養をさせていただいて来ました。
おばさんや、おばさんの娘さんに、強い口調で、
「邦子がいけないじゃん」
そんな風に言われたこともありましたが、実際の契約には、わたしは、関与していないので、何も出来なくて申し訳ない気持ちでした。
おばさんが、亡くなった時に、
○○さんや代理店をされていたYさんは、全く知らんぷりでした。どうにか連絡をしても、お葬式にも来ませんでした。
今考えると、それもおかしかったのですが、わたしが、○○さんや代理店Yさんを庇っていたから、共振共鳴の周波数をわたしが、選んでいたのだと思います。
久しぶりに夜書いてみました。
少し感情が離れて客観的になれて来たように思います。