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トラウマこそ洗脳その20

トラウマこそ洗脳

わたしは、トラウマがたくさんあったんだよなぁ?
最近そのくらい、ぼーとしているのか?
頭のネジがたくさん取れたのか?
トラウマを忘れてしまいました。

という事で、
尻切れとんぼかもしれませんが、
この辺で、
このトラウマこそ洗脳を、
完結したいと思います。

書き始めのイメージと
かなりかけ離れた感じになりました。

自分が考えている事が、普通!
その感覚を疑ってみた方が良いかと思います。

わたしの実家で、わたしが小さな時、
聞いていた言葉が、
針でつつく様な、痛みを感じる言葉でした。

その事に気付けたのは、父のことを思い出した時でした。

父は、晩年、針でつつく様な言葉を使わなくなっていました。

父の人生の中で、遠く隣の県の神社まで、週1回お参りに行く中で、温かな言葉をかけてもらっていたのかもしれないと、今になり感じました。

小さな時に、切なくトラウマだと思った出来事は、かなり過去の事でした。

しかし、わたしの中では、時間が止まった様な感覚だったのでした。

トラウマだ
トラウマだ
と思うほど、
時を止めてしまっていたわたしでした。

昭和の時代でした。
今は、平成ではなく、令和です。

父が、母に辛く当たっていたのは、
昭和の出来事でした。

父は、たくさん寂しい思いをしていたかも知れません。
けど、それを口にしませんでした。
父が亡くなった時、いつも身に付けていたのは、
母の小さなバックでした。

その時、父の寂しさを知りました。

わたしは、小さな時から、針様なつつく言葉を聞いて、自分も普通に使っていたのだと思います。
それが、過去のわたしの普通でした。

父の兄弟姉妹も、やはり、お互いに針様な言葉を、言って傷つけてあっていたのかもしれません。

今は、令和6年2月1日
今を生きて行きましょう。

トラウマこそ洗脳 おしまい。