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トラウマこそ洗脳その3

トラウマを見つめる旅の始まり……

自分で昨日書いたブログを読みながら
なんてかっこいいのだろう。
と感心していました。

昨日書いたことは、ちょうど1年と3ヶ月前くらいのはなしでした。

トラウマに悩まされて来た時間を思う時、
たった1年と3ヶ月でトラウマが、すっかりなくなったのですから、本当にすごい事です。

わたしが、トラウマに悩まされて来た期間は、
35年くらいでしょうか。

始めは、いじめがきっかけで、人間関係に悩んでいました。
その時のわたしは、15歳くらいでした。

とにかく、普通にお友達と仲良くする事が、
苦手で、集団が嫌いでした。
特に、中学校の時の、学校の雰囲気も嫌いでしたが、なぜか学校には休まず行っていました。

部活では、合唱部でした。
メゾソプラノだったので、毎日部活に行って音とリズムを覚えて事で、いじめの事を必死に忘れていました。
クラスでは無視していたお友達も、部活では話をしてくれていたように思います。

わたしは、いじめられながら、だんだん主となっていじめている人が分かっていました。

実は、数年前まで、その人の事を恨んでいたのです。
しかも、その事に全く気付けていなかったのでした。

その事に、気付く事になったのは、娘がいじめに遭った時でした。
教頭先生と担任の先生、相談室の先生と主人とわたしで話し合いをしました。

話し合いの後半で、
わたしは、自分の経験を話しました。

「わたしは、中学時代にいじめに遭っていました。その時の夢は、自殺する事だったのです。けれど、わたしは、自殺しなかったから今ここに居ます。娘をいじめている人も、ご家族もいじめをしていると知っていますか?必ずいじめたらいじめ返されますから、その辺りの事を、伝えてあげないとその子の人生であとから大変な事になると思います。」

この話し合いでは、教頭先生は、
「いじめはない」とはっきり言いました。
マスクをしているその顔に、表情は、なく能面をしているようでしたが、わたしがこのように伝えた時には、顔に表情がありました。

わたしは、先生は、生徒に自殺されたりしたら残りの教員生活少ないのに、困ると思ったか?
それは、確認しなかったから分からないです。

この話し合いに行こうと言ってくれたのは、
主人でした。

ここの話し合いに行く前の半年間は、
娘がいじめがあった事を隠していて、
頭が痛い、お腹が痛いと言って、部屋で寝てばかりいた娘を、わたしは、心配していました。

時には、1週間に4日も寝たままだった時もあったのです。

その時、わたしは、自分の罪を見返るしか出来なかったのでした。

それは、ドラゴンゲートメソッドに申し込みをする半年くらい前くらいでした。

ドラゴンゲートメソッドで、自分の人生を振り返るワークをした事によって、わたしは、自分の人生を自分の肥やしに出来たのだと思います。

振り返ってみると、教頭先生との話し合いがあった前後に、ドラゴンゲートメソッドが、始まったのだと思います。

娘が高校2年生の3学期の1月か2月くらいだったか?もっと早い時期だったのか?
そのあと、担任の先生から進級出来ると報告を受け取りました。

あの時、娘が苦しんでいた姿から、
わたしは、母の事を思い出していました。
答えが見つからない苦しい時間の中で、
わたしは、自分が恨んで来た事が、
因縁因果を娘へ流してしまっている。

そんな風にだんだんと考えるようになって来たのでした。

ドラゴンゲートメソッドのワークの中の
自分の人生の振り返りの中で、
いじめに遭った時の背景を、思い出したり、
いじめられた環境やいじめていた人の家庭環境を書いたりしました。

娘のことがなかったら、すらすら書く事が出来なかったと思います。

そのくらい、嫌なことは、見たくない自分だったのでした。

自分の嫌だった時の事、思い出すのが、
辛いって思いますよね?

いやいや、35年もトラウマとして苦しんで来た事がなくなるなら、見た方が絶対いいです。

しっかり見たら、トラウマは、なくなります。

苦しみ味わいきっているなら、なおさらです。
自分が、もういいよね!
と決めるだけです。

出来ないやれないは、洗脳です。

出来ますよ。

22:05になりました。
おやすみなさい。